東京地方裁判所 昭和63年(ワ)10089号 判決 1991年3月25日
原告
神田昌和
右法定代理人親権者
父
神田幹雄
同母
神田葉子
右訴訟代理人弁護士
竹澤東彦
同
中村隆
被告
埼玉県
右代表者知事
畑和
右訴訟代理人弁護士
大森勇一
右指定代理人
堀口晶子
外五名
被告
国
右代表者法務大臣
左藤恵
右訴訟代理人弁護士
大森勇一
右指定代理人
若狭勝
外一名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、連帯して一億〇六三八万円及び内金九六九三万円に対する昭和六二年二月二四日から、内金九四五万円に対する昭和六三年八月四日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一本件は、一級河川である柳瀬川の管理に瑕疵があったために、原告(当時二歳)が、堤防から河川に転落して溺水し、酸素欠乏による無酸素性脳症により、四肢体幹機能に著しい後遺症が残ったとして、右河川を管理する被告らに対し、国家賠償法二条一項に基づき、損害賠償を求めた事案である。
二争いのない事実
(一) 柳瀬川は、河川法四条により、建設大臣の指定した一級河川であり、その管理は、被告国の建設大臣が河川法九条一項により行っているが、後に認定する本件事故発生現場付近は、埼玉県知事も建設大臣の委任を受けて管理の一部を行っており、被告埼玉県は、埼玉県知事の給与負担者である。
(二) 転落場所付近の土堤への立入禁止の標識・設備や、転落防止のための防護施設等は、本件事故当時設置されていなかった。
三争点
1 転落事故発生時の状況、特に転落場所の特定。
2 転落場所の河川(堤防部分を含む。以下同じ。)について被告らの設置・管理に瑕疵があったといえるか。この点に関する原告、被告らの主張は以下のとおりである。
(一) 原告
転落場所付近は、住宅密集地域である東所沢サニータウン(六〇戸)に隣接し、付近の幼児、児童の遊び場等とされていたが、転落場所付近の堤防の天端は幅広で平端なため、外観からは、堤防であるとの判断は困難であり、転落場所への接近は容易であった。そして、土堤の河川側には、高さ1.5メートル程度の篠や灌木、雑草が幅約二〇センチメートルから約二メートルにわたって繁っており、岸上からは水面が見えない状態であった。また、河川側の土堤は、流水によりえぐりとられ、急な断崖状態になっており、転落の危険性が高く、かつ、転落した者が土堤に這い上がることは極めて困難であった。以上のような危険な状態にあったのであるから、被告らは、河川への転落事故防止のため、護岸工事の施工あるいは転落場所付近への立入禁止の標識・設備や、転落防止のための防護施設等を設置する義務があったのにこれを怠り、転落事故防止のための何らの措置も取らなかったのであって、被告らの河川の設置・管理には瑕疵があった。
(二) 被告ら
転落現場付近は、下流に東所沢サニータウンと称する団地があるものの、市街化調整区域であり、多くが農地で、開発が抑制されている地域である。堤防天端の幅は約四メートルあるものの、人の通行の用に供されていたわけでもなく、かえって、篠・雑草が繁茂し、大人でも事故現場に容易に進入することはできず、まして、子供の遊び場所としては全く不適当な場所である。また、現場付近の堤防と堤内側道路とは直接隣接していない状態であり、当該道路も通園、通学路ではなく、付近に幼稚園、小学校、公園等の子供の集まるような場所もなく、かつ、河川とは高さ一ないし1.5メートルの前記堤防によって遮断され、子供が転落するような危険性はなく、また、右堤防を越えれば河川があることが明示されていたのであるから、原告が篠等の繁茂する中を事故現場の天端上まで進入して河川に転落したことは、河川管理者である被告らにとって、予測し得ない異常行動による結果であり、護岸工事が施工されておらず、また、転落場所付近の土堤への立入禁止の標識・設備や、転落防止のための防護施設等がなかったからといって、被告らの河川及び土堤の設置・管理には瑕疵があったとはいえない。
第三争点に対する判断
一本件事故発生時の状況、転落場所の特定
まず、本件事故発生時の状況についてみるに、<証拠>及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、昭和六二年二月二四日午前一〇時三五分ころ、後記転落場所付近の土堤上で実兄(当時三歳)と遊んでいるうちに、過って靴を川に落とし、右靴を取ろうとして柳瀬川に転落したことが認められ、次に、右転落地点については、右各証拠によれば、原告の母親葉子は転落場所付近から一〇〇メートル程度の自宅にいたところ、原告の兄から転落の話を聞いて直ちに現場へ駆けつけ、川面で原告を救助しているが、その際原告が浮いていた位置は、所沢市大字本郷八五五番地の一九、佐藤勇方から南西へ三三メートル離れた柳瀬川左岸土堤下であり、右場所に原告の靴も浮いていたこと、右場所は、後に認定するように、流水によって水面側の土堤がえぐりとられ、水流が緩やかになって澱んでおり、わずかの時間の経過によっては原告及び原告の靴が転落後に水流によって移動しにくい状況にあったことが認められ、右の事実からすると、原告は、右場所上の土堤(護岸工事が中断している部分から東方へ約五メートルの地点)から転落したものと推認される。なお、原告がどのようにして右転落場所である土堤上に接近したかについては、これを認めるに足る的確な証拠はない。
二被告らの河川についての設置及び管理の瑕疵の有無
1 国家賠償法二条一項の営造物の設置・管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼすべき危険性のある状態をいい、右瑕疵があったといえるか否かは、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきであるところ、本件転落場所付近の土堤につき、右にいう瑕疵があったといえるかについて検討する。
2 <証拠>及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の(一)ないし(五)の事実を認定することができ、(六)の事実は当事者間に争いがない。
(一) 転落場所から北東の所沢市本郷は、東所沢サニータウンという戸数約六〇の住宅地域となっているが、その他の転落場所の周囲は、大部分が畑であり、付近一帯は、市街化調整区域となっており、転落場所付近の天端部分を日常的に近所の住民が通行したり、子供が遊び場所として使用したりすることはなかった(子供の遊び場としては、転落場所より更に東方にある西前公園が存在する。)。
(二) 転落場所付近の土堤は、東所沢サニータウンの住宅地域の東側に、畑、道路及び駐車場を介して位置する関係にあるが、裏法尻(堤防の河川と反対側の法尻)と天端部分の高度差が約一ないし二メートル程度と比較的低く、住宅地域から右天端部分への接近は比較的容易であり(原告が本件事故の際どのように右天端部分へ接近したかについては、これを認定できる的確な証拠はない。)、また、住宅部分から見た場合、堤外に河川があることの視認性は必ずしも高くなかった。
(三) 転落場所付近の天端部分から表法尻(堤防の河川側の法尻)にかけては、子供の背丈以上の長さの篠、灌木、枯れ草等が水面上にわたって密生しており、子供が、天端部分から水面を確認し、また、水面側の土堤の端の位置を識別するのは困難な状況であった。
(四) 転落場所の土堤部分には、護岸工事が施されておらず、転落場所から西方へ約五メートルの地点から上流側は、昭和五八年一月から五月にかけて護岸工事が施工され、右護岸の下流側の端(転落部分の上流側直近部分)には、右護岸工事にともなう石積工(すりつけ工)が施してあった。
(五) 転落場所の土堤の水面側部分は、流水によりえぐり取られた断崖状態になっており、右部分の天端の幅は、他の部分と比較して狭くなっており、右天端部分から足を踏み外して落下した場合、途中に落下をさえぎる障害物はなく、かつ、一旦水面に落下すると、土堤に這い上がることも困難な状況であった。
(六) 本件事故発生当時、住宅側から転落場所付近の土堤への立入禁止の標識・設備や転落防止のための防護施設等はなかった。
以上の事実によれば、転落場所付近の土堤部分は、子供が遊び場等として使用した場合、河川に転落する危険性を有していたということができる。しかしながら、河川は、道路等の人工公物と異なり、もともと自然公物であって、自然の状態において公共の用に供される性質を有し、被告らによる河川管理の目的は、洪水・高潮等による災害の発生の防止、河川の適正利用、流水の正常な機能維持等にあり、一般公衆の自由使用に供されてはいるものの、一般公衆の自由使用に供することを目的とするものではないから、公衆の河川の自由使用に伴う危険は、原則としてこれを使用する者の責任において回避すべきものである。そうであってみれば、被告らの河川の管理に瑕疵があったというためには、当該土堤付近が頻繁に人の通行の用に供され、あるいは子供の遊び場として常時利用されている状況の下、被告らが護岸工事等によって土堤部分に人為的に手を加えた結果、土堤部分からの転落事故が生ずる危険性が従前より増大したことが必要であるというべきである。右の観点から本件をみると、右に判示したように、本件転落場所付近の土堤を、日常的に、近所の住民が通行したり、子供が遊び場所として使用したりすることはなく、かつ、篠・灌木等の密生によって水面及び天端の水面側の限界点を確認しにくい状況、土堤の断崖部分の状況、幅の狭まった天端部分の状況等は、自然現象によって生成したものであって、被告らが人為的に手を加えた結果によるものではないし、住宅側から転落場所付近の土堤への立入禁止の標識、設備や転落防止のための防護施設等がなかった点についても、本件事故は、当時二歳の原告が当時三歳の実兄と二人で転落場所付近の篠・灌木の密生した天端上に登って遊ぶという、いわば幼児特有の危険を顧みない異常行動に基づくものであって、先に認定した転落場所周辺の利用状況等と合わせて鑑みれば、被告らに、このような場合をも想定して住宅側から転落場所付近の土堤への立入禁止の標識、設備や転落防止のための防護施設等を設置する義務はなかったというべきである。
三結論
以上のとおり、被告らの河川の設置・管理に瑕疵があるとは認められないから、その余の判断をするまでもなく、原告の請求は理由がない。
(裁判長裁判官塚原朋一 裁判官井上哲男 裁判官小出邦夫)